激しい動悸、発汗、筋肉のこわばり・筋肉痛・関節痛、死んでしまうのではないかという不安、絶望感、焦燥感、過去の失敗をえぐるような悪夢、聴覚過敏、光過敏、めまい等
現在の状態・コメントうつ病とパニック障害で8年間薬物治療したのに快方に向かわず失職。異常な言動や妄想などの自覚もあったので薬を疑い一気に断薬。最初の一ヶ月程度は身体症状が激しくまさに生き地獄。半年位は毎日悪夢と絶望感との闘い。いいことが全くないので希死念慮が常にありました。現在は将来に対する不安・絶望感に耐えながら、心地よいことが少しでも戻ってきてほしいと切望しています。異常な言動などはなくなりました。結局のところ断薬は自己責任で行う孤独な闘いだと思います。再び薬を飲めば一時的には楽だろうなと思うことはありますが、わたしはこのまま頑張ろうと思います。
-------------------------------------------------------
2013年10月(断薬後19ヶ月)
主だった身体症状がなくなったこと、希死念慮、思い出したくもない過去のフラッシュバックと果てしない自己嫌悪などがなくなったこと。再び精神薬を服用することなど絶対に無いという自信。これらのことから離脱に成功したと思います。
残った自覚症状は身体のダルさ、何もする気の起きない無気力感、喜怒哀楽などの感情鈍麻、記憶力・思考能力の未回復などです。
会話の際には言葉の想起・選別と組み立てに時間がかかるので服薬以前のスピードには遠くおよびません。
楽しいと思うことが殆どないので外出は必要な用事と数少ない友人が食事などに誘ってくれた時のみにとどまっています。
断薬後はふらつきが酷く、駅のホームから転落するのではないかという恐怖や、車内の話し声に対する聴覚過敏などで電車に乗ることさえ怖かったですが、今はあまり抵抗を感じません。
服薬してからは文章を読むのが非常に苦痛で、一行目を読んで二行、三行と読むうちに一行目の内容を忘れてそのループという様に「記憶と理解」(この二つは脳内の情報処理で密接に絡み合っていることが実感できました。キャッシュとCPUの関係のようなものでしょうか)に明らかな障害がありました。一番ひどかった時期は漢字がいわゆるゲシュタルト崩壊(「へん」と「つくり」がバラバラに感じられ、さらに注視していると一画一画に細分化していく感じ)を起こしていました。「楽」という文字を注視すると(何故かこの文字だけ)横になって見えるという奇妙な知覚も経験しました。
断薬後しばらく(3ヶ月くらい?)してからは病気や薬のことをネットで調べ、かなりの文字数を読んだり、本を読むこともできるようになりましたが、読み終わったあとに何が書いてあったかを振り返ると細部の記憶がぼんやりとしていて現在でも情報の蓄積が非常に非効率です。要点をtextにして保存するようにしています。
以上の様な、私に残った症状はアシュトンマニュアルの「遷延性離脱症状」に当てはまるものだと思いますが、わたしは素直に「後遺症」と呼ぶべきだと思います。
以前は芸術関係の仕事をしていたのですが、上述の「感情鈍麻」が著しく、断薬後に笑った記憶がほとんどありませんし、好きだった音楽や映画も興味がなくなったため苦痛でほとんど鑑賞できません。制作行為などは程遠い感じです。「面白い」、「楽しい」ということがほとんど全く無くなってしまったのが今一番辛いことです。喜怒哀楽は人間関係の基本でもありますから早期の社会復帰は無理かもしれません。時間を持て余しながらも、家人が栄養面を気遣って用意してくれる食事を摂りながら後遺症の改善を待っている毎日です。
私は服薬期間中は調べ物をすることもできませんでしたので、薬の恐ろしさから思い切っていわゆる「一発断薬」をしましたが減・断薬の方法は漸減が基本でしょうし、アシュトンマニュアルでも突然の断薬を避けるように繰り返し述べられています。
私の場合は
1)精神科の医師を全く信用できなくなったこと
2)精神薬が身体を蝕んでいる実感があり、少しでも早く服用を終えたかったこと
3)断薬時には薬により思考力が低下しており、漸減をコントロールする精神力が無かったと思われること
4)幸い断薬開始時に「多剤大量」処方ではなかったこと
などの点から一発断薬で仕方なかったのかと思いますが、場合によっては生命に危険が及ぶこともあると思います。離脱症状を激しいと感じたのも、現在の後遺症も私の方法が間違っていたからかもしれません。
全ての依存症患者にとって等しく正しい離脱の方法は、アシュトンマニュアルを含め各種書籍、HPにも十全には記述されていません。
必要なのは自分自身で調べて勉強すること、この一点に尽きると思います。
幸運なことに現在はインターネットがありGoogleがあります。病気や薬に関する様々なサイトにアクセスしていくうちに製薬会社や精神医療の関係者が薬の効能を権威的にそして巧みに密かに誇張しているサイトがだんだんと判ってくるはずです。また、病気や薬に苦しむ人たちにあやしい商品やサービスを提供しようとする悪質なビジネスがあることにも気づくでしょう。精神薬で病気が全快したという人は居ましたか?薬で治ったとか、薬を飲まないと治らないという言葉は度々見かけましたが、断薬の経験談とは反対に具体的に何をどの様に服用して治したかというディティールのある情報に私は巡り合うことができませんでした。全ての情報が正しい訳もなく、また全てのビジネスが悪質であるわけでもありません。離脱症状に苦しみながらこれらの取捨選択を行うのは容易なことではありません。しかしこのためのリテラシーを身に付けない限り薬物依存から抜け出すことはできません。薬を止めるのはあなた自身です。どのような方法でも程度の差はあれ減・断薬は苦しいものだと思います。たとえ減薬指導を行う優秀な医師に巡り会えたとしても患者の忍耐が伴わなければ減薬は進んで行かないでしょう。
ここで試されているのは日頃の情報収集・分析から自分の症状を比較・類推し、自分がどこまで我慢して良いのかを自分で判断する能力ではないでしょうか。情報収集には長い時間を充てることができるのですから、その上で医師と相談し指導を受けるべきでしょう。医師の指導を受けてもヤク中がラクにクスリやめられるわけないでしょうし、私のように知識もなく断薬して死んじゃってもアタシゃ知りませんが。
自分が得られる限りの情報を頼りに離脱症状の苦しさと薬の誘惑を天秤にかける自己責任が常に伴います。これは冷静な精神状態の人間でも難しいかなり高度な部類の判断に属するものだと思いますが、幸か不幸か依存症患者にしか訪れない精神活動です。私が薬物から学んだ唯一の恩恵は命懸けのこのリアリズムでしょうか。
薬で苦しむすべての人に将来の健康が訪れますよう願っています。
最後に、私にとんでもない薬を処方してくれたクソムシのような精神科医と、精神科医にメシのタネを供給してくれた悪魔の様な医薬品関係者一人ひとりに、私の人生をちょっとフクザツにしてくれた下賎で巧みな経済活動について敬意を表します。
「はよ死ね!」