いちじくさんの断薬体験談

いちじく
服用薬 マイスリー ロヒプノール デパス セロクエル リスパダール
服用開始 2001年08月
減薬開始 2011年08月
減薬・断薬中の離脱症状

発病したのが2000年5月。それからしばらくは、薬漬け。内容は全く知らなかった。2001年8月に、副作用が嫌だと言って、セロクエルに変わった。最初は、朝昼夕25ミリずつだったが、ずっと眠いので、仕事を始めると同時に、寝る前50ミリに。夢中で仕事をしたので、クスリの作用がどうこうということは、全く無かった。しかし、病気もバレ、新しく異動してきた上司には嫌がらせを受け、あげくにクビ。再発。入院。それからリスパダール2ミリになって、そのまま7年間据え置かれた。その間、重大な副作用に悩まされた。無表情、無感覚、無感動。新聞も読めず、分かりやすいtvのみ。廃人にような日々だった。5年目くらいから、子供達にからかわれるほど、腕が大きく曲がった。生理が止まり、乳がんになり、そのショックで、車の運転が一切できなくなった。祖母の認知症発症に伴って、不眠になり、主治医とのコミュニケーション・ミスで、リスパダールを打ち切り、セロクエル50ミリにしてしまっていて、1ヶ月後、それを指摘されて再発。2年間、セロクエル最低量と、ハルラックとマイスリーとロヒプノールを、いっぱいいっぱい飲んだが、全く眠れず。徐々に睡眠薬はやめていき、3日前くらいから全く飲んでいない。睡眠は足りないが、気にしなくなった。睡眠薬においては、減薬断薬による不調は全く無かった。しかし、セロクエルは、本当にすごかった。量は、しばらく寝る前に175ミリ一気飲み。しかしこれでは、ちょっとしたショックがあった時に、カーっとなるので、ジェネリック医薬品(ファイザー)に変えた時に、そのもうもう度が異常値に達したので、25ミリずつ、3時間置きに飲むようになった。総量は150ミリにした。すると、吐き癖がつく寸前になったので、慌てて、朝昼晩50ミリずつに変えた。しかし、ドロドロホラーグロテスクと、悪夢に苛まれ、夜寝る前に思考が強制的に遮断されるのがキツ過ぎて、速かに75ミリまで落としたが、全く改善されず、半年で挫折。元祖セロクエルに戻した。しかし、地獄はそれからで、総量は変わらず75ミリのまま据え置いたが、強烈な自己喪失、自信喪失、この病気に対する最悪の想像力の増大。他人を傷つけてしまうのではないか、という悪い予感にしつこく襲われ、次第に、自己を傷つけてしまうのではないか、という予感、そして恐怖になった。今、まさに、そんな訳の解らない状態が続いている。

現在の状態・コメント

自分でクスリをいじる時は、調子に乗っていないかを、よく観る。それから専門医の意見を聞くこと。素人では、分からないことだらけなので。

2013/06/18 15:41:44
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