今年4月、妊娠のための薬の変更と減薬後すぐに味覚異常・耳鳴り・動悸・不眠・腰痛・体温調節不能・多汗・食いしばりによる顎関節症・吐き気・食欲不振から始まりました。
主治医は妊婦が飲んでいても大丈夫な薬しか出さないと言っていましたが、産婦人科医は首をかしげ、主治医がいうならそうだろう、となりました。
額にびっしり白ニキビのような細かいできものが出てきました。
妊娠時のつわりの症状だと思っていました。
体重は一日1キロ以上減りました。
マイナス3キロで減少はストップしました。
一週間ほどで足首から始まった麻痺のような冷感・無感覚やしびれが出てきて、首や肩や頭や顔半分に広がっていきました。
味覚どころか口のなかの感覚がなく、食べ物の味・温度・食感がわからなくなりました。
少し失語傾向もあったかもしれません。会話を成り立たせるのに苦労しました。
目の見え方が異常になり複視というか、全てがでたらめな3D画面のような見え方に変わりました。
耳には圧力がいっぱいかかったようにいつもパキパキ音が聞こえました。
この時点でPCなどで状況を調べるのは不可能になりました。
聞こえ方も異常で人の声さえも波を打ったように音が大小になって聞こえ、聞き取るのが大変でした。
時間の流れがこれでもかと思うくらい非常にゆっくりすぎるように感じられました。
眼球疲労もあってか目の奥も痛かった覚えがあります。
小さい音でも心身びくっとしてストレスは溜まりました。おそらくアドレナリンがかなり分泌されていたのかもしれません。
侵入的記憶がしょっちゅう起こりました。最初は現実なのかどうかわからず不安でしたが、慣れてくるとまたか、と流しました。
不眠は数日で消えましたが、よく悪夢を見て眠りが浅く、心臓はドキドキでした。
温度差・LEDなどの明るさ・布団や服の素材、お風呂の時間と温度、風などいろんなものが離脱症状に影響しました。
ほぼ全身に広がっていった頃神経内科に受診して検査をしても、麻痺ではなく反射反応は生きてる・・・つまりわからないことがわかりました。
少なくとも麻痺ならば右が麻痺したり左が麻痺したりなどあちこち変わるはずもなく、私の場合はあまりにも気まぐれでした。
体はひどく硬くなっていて凝り固まっていました。
しかも離脱症状がない時間も存在したのです。
就寝時の眠剤を服薬すると幻覚(止まっているものが動くような知覚)が見えて、体がガタガタ小刻みに震えてるような振せんや痙攣があって気絶するように眠ってました。夜間から朝までこのような症状がなかったことに気づくまでは時間がかかりました。
5月、第一子流産がわかりショックも大きかったです。精神的にきつかったですが、せめてしっかりこの子を送り出さねば、と気を張り続けました。普段の腰痛ではない腰の鈍痛はおそらく流産の前触れだったのでしょう。
自然排出による完全流産をしたので処置などの医療介入はなく、予後を見るだけの一日入院だけでした。
無感覚だった体に電撃痛が走り出します。最初は長い正座のあとのジンジンする感じでした。痺れていて麻痺していた神経がどんどん修復されている、と感じました。実際荘だったのかもしれません。
服薬0にしたときは針で刺すような電撃痛に変わり不眠もすごかったです。片方の瞼や手の関節がパンパンに腫れました。喉の奥(おえっとくるポイント)にこれが走ると吐きそうな感じがしばらく続ききつかったです。子どもが死んでしまい、自分もずっとこのままなのならいっそ・・・と頭をよぎったことも正直あります。さすがに気が弱りました。おそらくこの電撃痛がさまざまな離脱症状の中で最もつらく感じられました。
しかしこの電撃痛が私にとっては離脱症状の折り返し地点でした。
すこし再服薬になりましたが、この時ようやくこれは妊娠のひどいつわりではなく、睡眠薬由来のものだとわかり愕然としました。
お腹の子を殺してしまったのは私が薬を飲み続けたからではないか、と苦悩しました。
誰にも相談できなく、大変ではありましたが一人で少しずつ情報を集めました。
アシュトンマニュアルに沿って、この悪魔の薬を完全に絶つための計画を必死にしたのを覚えています。(内海聡著書・宇田川久美子著書参考)
主治医は離脱を認めず、院長は障害者手帳を作らせようとしました。もっと薬を飲むべきだといわれたのを忘れません。
減薬用のジアゼパムとニトラゼパム、セロクエルだけいただいてあとは立ち寄りません。
ここからは症状が弱くなったり減っていきます。
電撃痛が徐々にむずむず脚症候群のような感覚に変化します。鈍痛が体のあちこち走っては消えました。
6月には実家を出て、新居で自炊できるくらいになりました。徐々に色んな家事ができるようになり気分転換になりました。
ほぼ離脱症状が薄れて消えていきました。
この時期には花粉症やドライアイや疲れ目の目薬・鼻炎アレルギーの点鼻薬・喘息の吸入薬・皮膚科のステロイド系塗り薬を断薬しました。
この辺は大きな離脱症状は感じられませんでした。それどころか症状はいまだにおきません。
一週間に4分の1錠ずつ減らしていきました。前に出しきったのか、大きな離脱症状なし。
8月に断薬に至りました。少し不眠があったので体調を見て3日の酵素ファスティングをして睡眠リズムを戻しました。(舩瀬俊介著書参考)
現在もしつこい不眠が出たのでボディートークを利用し、根本治療だからか認知行動療法を徹底せずとも眠れるようになってきてます。
私は不眠がこの1か月なけれボディートークが有効としめくくり離脱完了と考えております。
ボディートークに行きつくまで、栄養療法(無添加の食事、糖質制限やサプリメント、キレート点滴)、認知行動療法、酸素療法、カウンセリング、ヒプノセラピー、経皮毒、電磁波の影響、重金属の体の蓄積の影響、ファスティング、整体、いろいろ試しました。
なんとなく効果があるものもあるけれど私にはいまいちでした。
その上どれも高価過ぎて続けるのは困難です。
おそらく最初からボディートークにかかれていたら、時間と費用をここまで圧迫させなかったでしょう。
正直後悔は強いですので、この場をお借りして情報を上げさせてください。
皆様の速やかな心身の減薬・断薬の成功をお祈りします。